検察側の罪人を見た
人の正義は自分のためでしかない
含みを持たせるのであれば、種の繁栄のために正義をふりかざしていること
そうして、正義の集団をつくり、少数派を排除する。しかし、それは子を作り、繁栄させる人間にとって、生き残るためのメカニズムでしかない。妥当であり、罪でもある。
罪と決めても、人間にとってそれが罪かどうかは人それぞれの価値観によって異なる。
誰かにとっては正義であり、罪と認識される。
集団原理は少数の正義を排除することが根底にあり、それは少数が多数を排除することを恐れ、多数派が種の繁栄を守るために行われる。
脳には長い繁栄の中でそうプログラムされたらしい。そして、年齢を重ねるほどがその傾向は強く現れるらしい、、、
人間にとってのグレーゾーンを突かれるようなこの小説を映画化したものは、人間の価値観から成る思考の愚かさを感じられた。
なにが良いでも悪いでもなく、常日頃の判断は自分の価値観に依存する。
自分と異なるものは排除する。受け入れなくなる。少数派を叩くことで快感が得られる脳は、人間が繁栄するために、少数派を消していく。
多様な価値観を自分の中に取り込むことで、少数派との摩擦を減らし、対立していたことが融合して再び大きな正義へと昇華する。
人間って、なんなの。
自分の言ってることは正義のストーリーであって、誰かにとっては少数派でもあるし多数派でもある。
正しいか間違いかを決めることはできない。
誰かにとって正解でも、誰かにとっては不正解。
こんな難しいことを考えるのって本当に必要なのか。
結局は、種を反映させることしか考えてない
思考の先にはそれがあるみたい
こうやってなんで?なんで?を繰り返しても、種の繁栄のためのプログラムは誰も分からない。人間は自分の頭の中を100%理解していない。
なんなんだ一体。
何も間違っていない、何をしても間違っていない。人は感情に振り回されているだけだけだったのか
グレーもなにもどんなことでも間違いはない