馬鹿になりたくて①
そもそも私が目指している馬鹿ってなんだろう。
馬鹿になれたとして、どうなる。
馬鹿ってなんだろう。
中学生の頃を思い浮かべる。
思い返して思うことは、今じゃあんなことできない。
ここに馬鹿になれるヒントがあるのではないか。
大人に成るほど、歳を重ねていくにつれて、衰えや考え方の発達など、様々な要因を含んで物事を考えるようになる。論理的になり、パターンに当てはまる。それは、もし、オールして学校に行くという考えが浮かんだとき、馬鹿はすんなり受け入れる。しかし、歳をそれよりも多く重ねた人たちは、体が持たない、次の日に行動できないのが勿体無い。など、他にも様々な考えを持ち、拒絶するだろう。
この違いは至って簡単で、効率的かそうでないということである。
馬鹿はマイナス覚悟どころかマイナスも考えていないかもしれない。
大人はマイナスを避けて、効率良く時間を分配している。
馬鹿は馬鹿だなと思う。大人は論理的だなと思う。
(オールして百万円貰えるなら大人は喜んでオールするだろう)
論理的であることは大してつまらない。
馬鹿げたことにある先を知らない。
馬鹿げたことが実は挑戦であるということもちっとも感じることができない。
私は、ステージの上に立ちたい。バンドを組んで人の上で自分を出したい。
そして、自分の人生に何かを残したい。後世に笑われないくらいかっこいい自分でありたい。
挑戦が必要だ。馬鹿にならなくてはならない。