心のメモ

誰かに話すことでもないような考え事はこのブログに収めている。

何のために生きるのか

 そんなの知らないし、いまはわからない。けど、なんとなく今歩いている道の先には答えがありそうで、その道に進みたい時ありませんか?

 こんな感覚に襲われて、そういう時は変化の節目なのかなとも思う。

 きっと、環境の変化とか自分の出来ることが増えたりとか、もっと成長したいとか、新しい自分に出会いたいとか。そういう時にこんな感覚に襲われる。

 胸の中が騒がしくなって、頭はそれに支配されて夜も眠れなくなるぐらい、それは最優先であり、後ろを振り返っては前を向いたり。

 

 

 20メートルの壁があり、男10人が積み重なっても届かないくらい。所々にくぼみが上まで続いてるけど現段階では登れない。

 男はどうしたかというと、くぼみを掴むために毎日練習をした。

 1人の男はやっと壁を登ることができた。しかし、下にはまだ男たちが残っている。壁の向こうには男の目にしか映らないものがあった。

 男は残った男達を置いていくことに心残りがあった。降りればまた男達と共に壁を登ることはできる。しかし、その男は壁の向こうが見えている。その先には、未知の可能性がある。

 その男は精一杯、下の者にアドバイスした。しかし、頭からは壁の向こうに見える景色が離れない。何度も葛藤した。

 男は先の道に進んだ。そして、また壁に出会う時は同じ事が繰り返されるだろう。次は30メートルの壁かもしれない。それでも、先の道に進んでいく。そうすれば男は大きな成長を得ることができるからだ。

 

 何が言いたいかというと、心は素直で、自分の先を見てみたい気持ちが何処かにはあるということだ。これは誰にも当てはまることじゃないと思うけど。

 自分の可能性をどこまで広げられるか。可能性の先に進むか否か。未知の世界に進むか否か。

 人生に正解はないと思う。だから何度でも失敗できるし、成功もできる。

 なにごとも一長一短に当てはまる。進まなければリスクは無い。進めばリターンがある。

 これは人の捉え方による。ただ、自分で決めたことは自分が責任を持つことが重要である。

 可能性を放り出したら、いつ帰って来るかも分からない。未知の世界を見ずに終わる可能性もある。見ない方がいいということもあるかもしれない。

 ただ、誰に何を言われても、その人の人生だ。決めた道は誰にも邪魔させてはならない。振り返ってはならない。先に進むこと。それこそが強みとなり、人生の目的にたどり着く道。

 でも、きっとどんなにすごい人だって、人生の目的は探し続ける限り出会えそうだし、そもそも何のために生きるのかって、あまり考えない。

 

 でも、この問いかけを投げかけると、何か自分にはまだ見えてない道があるんじゃないかってソワソワする。恐怖感もあるけど。

 これは自分の感覚を言語化したもの。人によっては捉え方も違うし何言ってるか分からないということもある。

 でも、とっても難しい感覚であって言葉にできないモヤモヤをできるだけ言葉に置き換えれば、少し自分の気持ちに素直になれる気がした。今日はここまで